自分はチキン野郎
心の重荷をおろしきれずに、又は抱え続けて荷物が増えていく事で今も苦しい思いをしている人が沢山いる中で、
頭に死がよぎった事のある人は、自分にとっての死がどの様なものに感じられていますか?
崖っぷちに立たされて落ちた先が死である人。
こう感じている人が多いのでは無いでしょうか。
自分をふと振り返った時に、私は死を盾にしていたのだと思いました。
押し引き問答の手段でしか無かったのです。その為に自分の死を利用していたと思いました。
何か自分への重圧を感じた時、それが攻撃に思えて、自分を守る為に盾を構えていたんです。その盾が死であって。
休戦を申し出られるまでずっと盾を構えていたんです。そうする事で自分を生かしていたんです。何かあれば死を匂わせ…。
こういうのってミュンヒハウゼンと言うんですかね。悲観的で悲劇を演じる自分に酔っているだけで、甘えられる場所があって保障があって確信しているから、堂々と踏み切っていたのでしょう。
その様な、自分で閉ざしていた都合の悪い物が詰まった箱を、ふと開けた時にとてつもない罪悪感と絶望感を味わえます。
意思無く生きていたと勘違いしていました。本当は見返す事があまりに都合が悪く、存在に気付いていたのに見えないと嘘をつき続けていたのです。
自分も今を生きているんです。辛いと同情誘ってクソな生活繰り返していたんです。
当たり前だけどド正論
働いていれば思う事も言う事も、説得力が圧倒的です。
選挙に行かないのに政治に文句を言ってはいけない。と高校の時に教わりました。本質は変わらないと思います。
改めて、とてつもなく死にたくはなりました。理由は変わりました。投げ出す為に私に向いている様々な情に盾構える事が、今の自分の死にたいなのです。
意地汚く生きている現実を無視してはいけない。ちっぽけな存在だけど、恩は何がどうひっくり返っても恩なのです。
死にたいです。